カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
ランキング参加中です。
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
スポンサーリンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2018年 08月 13日
人気ブログランキングに参加しています。 人気ブログランキングへ ---------
枝野幸男の中身のなさ過ぎる3時間大演説を 産経グループの産廃置き場であるところの ハーバービジネスオンラインが書籍化しました。 こういう三流書籍は たいてい取り次ぎが抱き合わせにしてくることもあってか 書店の店員が陳列で対抗してきたようです。 1分で話せ。 昨日の当ブログ記事のコメント欄にありましたが、 中帰連の生き残りってのがいましてね。 洗脳されて帰って来て、しかも年を取っちゃったものだから 中国共産党に媚びまくって創作した記憶を 本当の記憶だと思って吹聴するという存在になってしまっています。 曰く、妊婦の腹を引き裂いて殺した。 曰く、女性の陰部から串刺しにした。 実際には通州事件などで支那人どもがやっていた所業です。 特定アジアは拷問も残虐で、 つい100年前まで特定アジアでは凌遅刑なんかも行われていました。 人間の想像力ってのは割と限界があります。 なので残虐なことをやったということにする為に 支那人どもが洗脳で刷り込む内容は 「指導する支那人どもが実際にやっていた悪事」 が残虐な殺害の例示ということになるでしょう。 それにこのブログで以前も何度も書いていますが、 特定アジアのやり方の一つに 自分達が行った悪事を先に宣伝して相手に転嫁する。 というものがあります。 私達普通の日本人がにわかに想像が付かなくとも、 実際に残虐な行為を行っていた連中なら、 その残虐な殺人の様子を語る事ができます。 まして話をでっちあげ、 必ず大げさにするのが特定アジアの文化ですからね。 南京大虐殺、慰安婦強制連行なんて そのウソの最たるものでしょう。 さて、文部科学省の違法天下りシステムは 民主党政権時代に作られたものでした。 民主党は政権を取る前に天下りを根絶するとアピールし、 民主党が政権を取ったら天下りが激減したことにしました。 実際には天下りであったものを 「OBの口利きなどを使った天下りは天下りにカウントしない」 ということによって実現させた数字でした。 自民党政権時代にマスゴミが自民党の支持率を下げる為にもと 天下りバッシングのキャンペーンを張りました。 これで他の省庁はあの手この手で 取り締まりを回避する方法を作っていきました。 ですが、霞ヶ関の三流官庁と言われ続けてきた旧文部省系が主導する 文部科学省だけは違いました。 違法行為を行ってまで天下りをしているものを 天下りにカウントしないということを民主党政権が決定した事で、 文部科学省はこれに乗っかって違法天下りシステムを構築しました。 その中心にあって事務次官に上り詰めたのが 文部省に利権を作って来た中曽根一族の1人だった前川喜平でした。 また、今話題となっている東京医大の裏口入学の件では 平成23年から行われていたことを東京医大側が明かしていますが、 つまりは民主党政権から始まっているわけです。 そしてマスゴミが吉田のよの字も出さないようにして 報道しない自由によって徹底的に隠蔽を続けているのが 立件民主党の吉田統彦と羽田雄一郎の疑惑です。 東京医科大学の臼井理事長は 立件民主党の吉田統彦議員に献金をしていることが判明しています。 さらには自身の関与している日本眼科医連盟から 吉田統彦議員への献金は毎年約700万円にものぼるものとなっていて、 日本眼科医連盟の組織内議員となっています。 羽田雄一郎の政策秘書だった谷口浩司が逮捕された件では マスゴミは羽田雄一郎の政策秘書だったことや 口利きに吉田統彦が絡んでいたことなどについて 絶対に触れないようにしています。 産経は一応紙面の方では扱いますがテレビでは決して出しません。 コネもろくにないただの一般人だったら 文部科学省に深く入り込んで利権を作るなんて そう簡単にできる事ではありません。 なのにそうした部分は一切触れないようにして 決して民主党系の国会議員の名前に辿り着かないようにすることで 疑惑についてなんの説明にもならないものをニュースとして 報じているマスゴミの異常さこそ指摘されるべきでしょう。 谷口浩司の妻を名乗る人物が情報をアップしている以下のHPでは http://kojitaniguchi.com/ 生々しい写真まで出てきています。 ここまでの情報が出ているのに あえて辿り着かないように報道し続けるマスゴミには 逆に彼らが「報道しない自由」を駆使し、 挙げ句に東京医大の問題に話をすり替えています。 もはや隠したいんだろうなとしか考えられない状況となっています。 お次は先日亡くなった翁長知事の件で さっそく弔い合戦として利用する気まんまんな 共産党のツイート。 https://twitter.com/kakusanbuchoo/status/1027147973728202752 日本共産党にとっては利用できたものは全て使い捨てにする 必ず捨て駒にするのが伝統ですからね・・・。 こうして骨までしゃぶり尽くされるわけです。 昨日紹介したMAX9000人収容の施設で7万人(主催者発表)が集まったと言い張る 沖縄での反基地活動家の集会ですが、 「翁長知事は死して反基地運動のカリスマとなった。県民が心を一つにする事が亡き知事への最大の供養だ。」 と、さっそく翁長知事の死を利用するプラカードが掲示されていました。 マスゴミ向けの発表ではステージ2の膵がんという事になっていましたが、 たった2ヶ月程度でここまで一気に転移などが進む事はまずありえません。 最後に報じられた症状も 肝臓への転移とそこからくる意識障害、 いわゆる肝性脳症のようですから、 ステージ2の膵がんから2ヶ月程度で ここまで一気に進行するとはまず考えられませんので おそらくステージ4だったのだろうと思います。 そう考えると翁長陣営に深く入り込んでいた共産党などが 状況を全く知らなかったとは思えません。 ですが、翁長知事に知事選出馬を要請し、 翁長知事しかいないとまで言い切っていました。 翁長知事のように自民党支持層も騙して票を集めてこられるタマがない。 このことはオール沖縄陣営は理解していたでしょう。 そこで末期癌である翁長知事に翁長さんしか居ない!と出馬要請を行い、 同情を買う選挙戦、あるいは弔い合戦という方向に持って行こう この狙いがあったのではないかと考えます。 沖縄県の雇用と経済という点では 翁長知事は金秀グループらと結託して補助金を無駄にしてきただけなので 知事選の争点を沖縄県の経済に持って行かれると 反日、反安倍というだけのオール沖縄(笑)陣営は 弔い合戦というカードしか無かったというところかもしれません。 誰の目にも翁長知事のやつれた姿から 体力的に無理があることは明らかでしたから、 むしろオール沖縄(笑)陣営こそ、 翁長知事に無理をせずに療養することを進言すべきだったと思います。 ま、普天間基地の件だって、 反基地運動の宣伝の為に小学校移転計画を潰して 子供の命すら出汁に使ってきた連中ですから・・・。 --------- ↓良ければ応援クリックよろしくお願いします。↓
by Ttensan
| 2018-08-13 08:45
| 政治
|
Comments(28)
Commented
by
戦後生まれ
at 2018-08-13 09:19
x
実態の無い様な協会や何たら団体を作っては、定年退職者、中途退職者の受け皿にするんだよね。
そこに、大枚の税金投入…。 飲み食いするのに、領収書無しで自分の金を払えよ、と。 接待であってもね。 いや、接待だからこそ領収書無し。 …、足がつかないもんね。。。 髪長知事の…、 選挙まで生き永らえ選挙に勝利したら、クタバッタ後の知事職務代理者は当然ながら知事の息のかかった副知事。 選挙前に没すれば、職務代理者は選挙までの短期間。 流石に、隠し通してくれる病院は無かったという事でしょうか。 アム露やパーでんねんの宇宙人が立候補を取り沙汰されていますが、マトモな人材はいないのでしょうか、ね。
Commented
at 2018-08-13 09:22
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
腹一杯
at 2018-08-13 09:58
x
ブログ主様、ご説明いただきましてありがとうございます。
中帰連は名前は聞いたことがありました。 しつこくて恐縮ですが、よく行くマッサージ師の方から、似たような話を聞きまして、「日本人がするとは思えない」と申しました。 ところが、「いや、実際にそのおじいさんから直接聞いたから、私は戦争中にそういうことをしたと思っている」とのことでした。 信じ込んでいますので、私の意見派聞いてもらえません。もはやその手の話題はさけるようにしております。腕は良いので他のところへ変えるわけにもいかず。 向こうは向こうで何勝手なことを言っているんだと思っているかもしれません。 ところで共産党にも一応理屈があるようで、今は権力を握っていないから使えるものはなんでも使う。 世の体制をひっくり返すために行動しているのだから、世間の常識に縛られてどうする。と思っているようです。 ただ、そうすると権力を握った後、市民の支持が得られないとは考えていないようです。
Commented
by
ナニワの激オコおばちゃん
at 2018-08-13 10:18
x
ホンマにマスゴミはゴミや!と叫びたくなりますね。何としても吉田統彦、羽田雄一郎の名前を出さへん!
もう共犯者とゆうてもええやろ、あいつら。 朝からカッカしてます。 「1分で話せ」の写真、秀逸ですね。ツイッターで見た時は爆笑しました。
Commented
by
Ttensan at 2018-08-13 10:36
パヨク老人が
「なんとかしてパヨクに染めなければいけない」 というアホな考えからよく「XXから聞いた」という話を使うのです。 というかうちの父親(極左)もまさにこれでした。 近所のとっくに亡くなった老人の名前を出して、 「お前も知ってるだろ、中国で捕虜を何人も殺したって、みんなあたりまえにやっていたって言ってたんだぞ」 と、あからさまな作り話を言い出したりします。 これ、他の極左にも時々あるんですが、 結局の所は情報量ではこちらに絶対に勝てないので 真偽を確認できない伝聞の形で話を持ち出せばあいつも諦めるはずだというのがあるようなんです。 証言は証拠ではないのですけどね。 伝聞で実際にそのような発言をしていたかどうかすら確認できないようなのを証拠だと言い張る癖があるように思います。 日本のマスゴミが裏とりはしないが証言は絶対みたいなのをジャーナリズムと言い張る時代が戦後ずっと続いてきましたから、ソースは裏付けはないけど証言といい張れば通用すると思っているのがテレビ情弱層なんだろうなと思います。
Commented
by
あめま
at 2018-08-13 10:41
x
マスゴミは真面目な振りして日本ネガティブキャンペーンをバンバンやるんでしょうね、この時期は。
戦争を都合よく利用するって、同じ人間とは思いたくないね ガスライティングなどのそういう手法を考えて指南する人が背後にいるのですかね!?
Commented
by
くも
at 2018-08-13 11:08
x
それにしても、翁長という人の変節は何が原因だったんでしょうね。常に帽子をかぶっていたところから推察するに、ある種のカッコつけが人格の基本にあったでしょうから、何か恥ずかしい事実を握られて、行動を変えざるを得なくなったとか…。
Commented
by
平 八郎
at 2018-08-13 13:37
x
>1分で話せ
…くだらない話ほど長々と 肝心な話は事細かに説明しなければいけないはずのものを 「一言で言え」みたいにやりますね、パヨク系は。 この季節「戦死者20万人〜」とよく流れてきますが 「20万」という数字を南京や慰安婦と被せてるのでしょうか。 伝聞云々から想像妄想に発展させる、その印象操作に 映画などで事前に擦り込んでおく印象操作。 多くが欧米や特亜の歴史から着想を得た製作者による 「創作話」で盛ってあります。 映像で実際と異なる容姿の美男美女が演じれば 見る人のインパクトも違いますからね。 陰部から串刺しの刑、子供の頃、戦国時代の日本で行われた〜 と何かに出てた記憶があります。 大人になって支那朝鮮の残虐史を知ってからは… 全く印象が変わりました。 谷口浩司の妻… 中井洽=秋篠宮殿下へのヤジ 2013年横綱=日馬富士 登場するキャラも、問題な人ばかりですね。 情弱お花層には 「報道しない」話題を教えてあげるのが 最も効果的でしょうね。 >翁長知事は死して反基地運動のカリスマとなった。 ↑ お約束のように「神格化」しちゃっててw 療養もさせず、供養もせず、利用悪用するのが 「確かな野党、狂惨党」です。
Commented
by
たまにはコメントしてみます。
at 2018-08-13 14:29
x
>みんなあたりまえにやっていたって言ってたんだぞ
これは嘘です! 私の実家の周りも出兵から戻ってきた人はいました。 そんな話は聞いたことがありません。 それに、親戚の方は昭和14年途中から支那の戦線に出兵した方でした。 「前進、敵との銃撃戦の毎日。一日3回の激戦の日もあった!」 と語ってくれました。 そして昭和18年春、南方の戦線へ向かうのですが、バシー海峡で九死に一生を得てジャングルで戦います。 8月15日の終戦も知らず数か月ジャングルでゲリラとして戦いました。リアルに横井庄一さんや小野田寛郎さんと同じことをしていたんです。 ついでにもっと書きます。 まだ兵隊の訓練を受けている時の話です。 「勉強はしたい、でも夜の9時で消灯なんだよ。だから、勉強したいやつみんな便所へ行くんだ!便所なら明かりをつけていても怒られなかったからね!」 と語ってくれました。 南方での話。 人員補充で若い将校が上長としてやってきたそうです。 銃弾飛び交う中「勢い勇んで刀を持って突撃-っ!」とやらかしたもんだから、本人曰く、引きずり倒して上長に向かって「馬鹿野郎!地べたに張り付け!死にたいのか!」とやったそうです。どうも殴り倒したっぽい?(笑)マスゴミの世界なら軍法会議で処刑くらいの話です。でも実際は圧倒的に手練れた百戦錬磨の人に怒られたもんだから「ごめんなさい!」で終わり。(笑) 映画の「兵隊やくざ」みたいなことはあったんですか?と尋ねると… 「ないない!毎日戦いでそんな暇ない!でもね、兵学校ではしごきはあったね。上の立場の奴らがうっぷん晴らしに難癖付けてベルトで殴るんだよ。しかもバックルがついているほうで頭に巻き付くようにね。唇が切れて痛かったね!」と笑いながら話してくれました。なるほど! まだ書くよ!(`・ω・´) 続く…
Commented
by
たまにはコメントしてみます。
at 2018-08-13 14:30
x
続き…
戦後の話。 捕虜になった後、和歌山の港につきます。それから関東の実家へたどり着くのも一苦労だったようですね。電車は超満員。窓もなく、インドも顔負けの状態だったようです。 そして暫くの間は遺族へ遺骨を届けることで大変だったと… これが辛くて辛くて本当にきつかったと言っていました。 それ以上言葉が出てきませんでしたね。 この親戚の方は小野田寛郎さんに通じるものがありました。 戦後事業を起こして、その業界では「この人あり!」というところまで上り詰めた人です。たしか藍綬褒章をもらっていましたね。凄い人でした。 暗い話だけじゃ浮かばれないから、ついでに私が子供の頃の話。 お孫さんを連れて私の実家へ遊びに来られた時がありました。突然だったので親父もあわてていましたね。で、私とそのお孫さんで遊んで来いと言って鎌と小さめの籠を持たせました。 「これ何?」と聞くとついでに芹をとってこい!というのです。 仕方なく小川で魚を取ったりして遊んで帰りに芹をしこたま採って帰りました。 自分で言うのもなんですが柔らかくて見事な芹でしたね!(笑) 水で芹を洗っていると親戚の方のぞき込んで怖い顔していました。(実は眼光鋭く子供にはそう見えちゃっただけです)そのまま何も言わずまた親父のほうへ行って喋っています。 そして日が傾いてお帰りの時… 私の腕を「ぐい!」とつかんで引っ張りました。 間髪入れずに無理やり私の手に何か握らせたんです。 「ありがとう。」と言って車に乗って行きました。 で、あっけとられて「バイバイ」を言った後に手の中を見ると、聖徳太子が鎮座しておりました。当時の小学3年生でこれは衝撃的な金額でしたね。(笑) あとで聞いたのですが芹が好物だとか! 親父ーっ!先に言えよ!(笑) 何年か前、まだまだ聞きたいことが沢山あると思った矢先に向こうへ行ってしまいました。 お盆で会えるといいな! さて… 脱線しまくりはご愛敬ということでお許しを。 ぱよぱよち~ん!
Commented
by
いつかの芋掘り
at 2018-08-13 15:32
x
激オコおばちゃん様も書かれていますが、三時間の呟き本の上に 一分で話せという本。それをタイトルにしちゃう主様のセンスが眩しいです。
>このブログで以前も何度も書いていますが、 特定アジアのやり方の一つに 自分達が行った悪事を先に宣伝して相手に転嫁する。 というものがあります。 .こちらのブログで再三書かれている内容ですが、彼等はほとんどこのパターンですね。一つ覚えで やっとります、そして それを指摘されると「デマだ」と逆ギレ(笑)。 >南京大虐殺、慰安婦強制連行なんて そのウソの最たるものでしょう。 .この辺りの認識が国内で広がってきている事で、やっと外交面でも当たり前の対応が出来る様になってきたような気がします。デマはデマだと拡散されるべきだと思います。肝心の情報発信機関がデマ拡散部隊に成り下がりましたからね。 >吉田統彦議員への献金は毎年約700万円にものぼるものとなっていて、 .何をしてあげると年間約700万円くれるんでしょうか。普通の会社だとソコソコの利益を生まないと貰えないワケですが。 それとも議員の名前料でしょうか、余程の影響力があるんだろうと推察致します。 >日本のマスゴミが裏とりはしないが証言は絶対みたいなのをジャーナリズムと言い張る時代 .これぞ戦後民主主義のルール、選民のみが正しい というやつでしょうか。 毎日の読みやすい時勢の深堀りに感謝しております。
Commented
by
戦後生まれ
at 2018-08-13 15:39
x
たまコメさん、
古き時代のお話をありがとうございます。 で、戦後ですから『 電車 』は電車であっても、列車か汽車でお願い致しまするんるん。 インパール作戦からの、転進でも地元の人たちを襲ったり食料を奪ったりせず、白骨街道と呼ばれる程に日本帝国軍人さんは善人でしたからね。 数多くの兵隊さんが現地の部落の一員として受け入れられたりしましたね。 親父もよく生きて戻ったな、と。 戦時中の話は、インパール作戦からの転進で山を越え谷を渡り、足の裏は乾いてヒビ割れ血だらけになり、沢では傷が塞がり、戦友と背中合わせで夜を過ごし、朝は親父一人だけが起きて弔い後転進転進したとか、喉の渇きに耐えられず沢に降りて虎の餌食になった戦友とか、その程度しか語ってくれなかったですね。 どこで捕虜になり、何年に日本に帰りついたのかも、聞いても話してくれて無いです。 南方のお土産は、数度の発症で時間の問題と医者に言われたマラリアと、同じく覚悟を、と言われた不思議な腹膜炎ですね。 生きて日本に帰ると戦闘の最中も強く念じ、戦後も余程の事がなければ死なぬと言われた、タフな親父でした。 常に、軍隊は絶対に必要だ、と言ってましたね。 今年も、お盆でございますね。
Commented
by
雷神
at 2018-08-13 17:52
x
谷口浩司の妻を名乗る人物が本当に妻なのかは別として、写真や文書のコピーや名刺は迫力満点。テレビカメラの前で白万円の札束をこれ見よがしに示した誰かさんとは説得力が全然違いますね(笑)
ここは(現在の)与党の議員に質疑で取り上げてもらいたい。そして、政府はガッツリ調査して(当時の)元大臣や元副大臣の実名入りで答弁するなり、連中を証人喚問の場に引っ立てれば良いでしょう。 埋まるか余るか知りませんが、筋書きどおりのキャッチ&リリースに付き合ってる暇などありませんよ!! どうです?石破さん?総裁選に出る前に格好良いところ見せ……そうかそうか、ブーメラン投げたくないよね(笑) ぱよぱよち~ん!
Commented
by
たまにはコメントしてみます。
at 2018-08-13 18:43
x
> 戦後生まれ 様
>戦後ですから『 電車 』は電車であっても、 >列車か汽車でお願い致しまするんるん。 ごめんなさい!<(_ _)> これは恥ずかしいことをしてしまいました。 当該部分を書き直します。 『汽車はすし詰めどころじゃない超満員で、窓は割れてガラスも無く、インド人もびっくり!の状態だった。』 と書き直し訂正させていただきます。(;´∀`)汗 >その程度しか語ってくれなかったですね。 はい、多くを語ろうとはしてくれませんでした。 何かを隠しているとかではなく『皆が同じ苦労をしているのだからで取り立てて話すこともでない』と言う様なニュアンスのことをおっしゃっていました。 しかし…それでも知りたい。教えてください!と言えなかった自分が情けないです。 後悔先に立たずですね。
Commented
by
戦後生まれ
at 2018-08-13 19:45
x
たまコメさん、
こちらこそ済みませんです。 親父に、小説を書け、話してくれたら口述筆記する、と言いましたが結局何も話してくれませんでしたね。 ただ、戦友達がどう云う風に亡くなったかを遺族に話してあげたい、と云うのだけは止めました。 流石に、遺族を思うと遺憾だろと。
Commented
by
平 八郎
at 2018-08-13 20:00
x
最近の戦争関連ニュース、特集などで出てくるキーワードに
「これまで沈黙していた戦争体験者が声を上げ始めた」 なんてのが…本日の記事とコメントに関連して マスゴミパヨクの動向が臭いますね。 声を上げ始めた、といえば 「若者が」で、散々煽っていたのも記憶に新しい所です。
Commented
by
KY
at 2018-08-13 20:42
x
>裏とりはしないが証言は絶対
これでよくもまあマスゴミは警察の取り調べを「自白偏重」なんて批判出来ますな。
Commented
by
kon
at 2018-08-13 22:20
x
>まだ兵隊の訓練を受けている時の話です。
>「勉強はしたい、でも夜の9時で消灯なんだよ。 >だから、勉強したいやつみんな便所へ行くんだ! >便所なら明かりをつけていても怒られなかったからね!」 このコメントで、先日亡くなった父が生前話してくれた軍隊時代の話を思い出しました。 試験の前日の夜はよくトイレにこもって勉強したそうです。 兵舎にいると上官からなんだかんだと用事を言いつけられて勉強出来ないからだそうです。 試験合格者はおまんじゅうの配給が受けられたとかで、甘い物食べたい一心でトイレで勉強したそうです。(笑) 日本の兵隊さんは訓練だけでなく色々と授業を受けて勉強し、試験まであったんですね。 何の勉強かは分かりません。戦時国際法とか砲兵だったので弾道計算の方法とかでしょうか。 「たまにはコメントしてみます」さんのコメントで懐かしく思い出しました、ありがとうございます。
Commented
by
当時の証言
at 2018-08-13 22:46
x
わたしの先生のお父上が、兵隊ではなく支那人の懐柔要員として軍隊について洞庭湖のあたりに行っていたそうです。つまり漢語漢文ができるので、現地語を使い漢詩の交換をしたりして土地の顔役と仲良くなる仕事です。
で一握りの上官以外は誰もドンパチなんかやりたくないのです。でも何もしないで毎日のんびりしているわけにもいきませんから、明日ドコソコを攻撃すると命令がでるわけです。するとこっそり支那側にそれを伝える。すると翌日攻め入ったときにはもぬけのからです。帰軍して「逃げ足が速くて誰もおりませんでした」と報告する、実態はそんなものだったそうです。一例として。 こういう漢語漢詩文のできる懐柔要員は必要で、伊藤博文が暗殺されたときには森槐南という人がついていって流れ弾にあたっています。 あと倉石武四郎という有名な中国文学者がいるのですが、その人が平凡社『中国現代文学選集』全20巻のうちのどれかの巻末に長文を載せておられました。それによると、倉石教授は支那に兵隊として行っていた。日本軍は現地の村の人たちとは非常にいい関係を築いていた。ものを買ったり、洗濯つくろいものなどの用事をたのんだときは必ず充分なお金を払っていたしみな和気藹々として、出立のときには別れを惜しみ、さらにまたほかの土地に遠征に行った。人民の針一本盗らないのは八路軍ではなく実は日本軍だった。何か月か経過してまたその村に帰ってきたとき、その村の男は皆殺しにされ、食糧から何から根こそぎ略奪を受け村の女子どもは涙も枯れ果て途方に暮れ放心していてあまりのことにかける言葉もなかった、と。
Commented
by
sana
at 2018-08-13 22:48
x
つづきです。
おそらくは馬賊か軍閥にでもやられたと思います。 今手もとにその本がなく大昔の記憶を頼りに書いていますので細部に間違いがあるかもしれませんが、おおむねそのようなことでした。 松岡 環というプロ市民が捏造南京本を出して話題になりました。わたしも大枚五千円を出して買い読みましたが、虐殺をやったと証言する人はほんの僅かでした。こんなインチキ本、買うんじゃなかった。もったいなかった。丸善では表の書棚に陳列してなく、店員が奥から持ってきました。 ブログ主のおっしゃるとおり、日本軍がやったといわれるほとんどの悪事は大嘘でしょう。まったく何もなかったとは言いませんが。花園口事件のときに舟を出して民衆を救った、河南省の飢饉のときに食糧を放出したのは日本軍でした。 今回は、レスが長くなって申し訳ありませんでした。
Commented
by
弓取り
at 2018-08-13 23:12
x
3時間でも中身なし。むかし朝ナマで共産党議員が発言しだすと、ダラダラとテーマと関係のない話しをしていたのを思い出しました。田原が止めても止まらない。脳内原稿を読むだけといった体でした。
いつでもどこでも誰とでも、ユビキタスに同じ話しをしていたんでしょうね。魂が入ってなくて、一方通行。コミュニケーション成立せず。 たまコメ様と戦後生まれ様、それからおふた方のお話し、ありがたく拝読しました。大事な証言ですね。もっとあったら紹介ください。 (ブログ主さんに断りもなしで失礼しますが・・・) うちの祖父は大陸から帰還しました。幸い、捕虜にならず撫順戦犯管理所とかに入れられなかった模様です。脳内洗浄はされてませんでした。 もともと無口な人だったので、戦争の話しをなんとか聞こうと水を向けても、はぐらかされてばかり。 ただ「朝鮮人はまともな人間じゃなかぞ」が唯一の戦争体験談でした。その人たちが、どこにいるのかわからず、恐怖しか感じませんでした。それから、「パチンコやらすんな」とも(笑)。 日本国は、本来なら60年代にでも、「もはや戦後ではない」と言うならば、国家事業として、帰還兵の方々の体験談や銃後の守りの証言も、大規模な聞き取り正式調査をして記録を残すべきでした。 (ひょっとしたら、あるのかも知れませんが、私は知りません) これがあれば、反日やアカどもの内訌をもっと防げたに違いありません。 ぱよぱよち~ん。
Commented
by
maru
at 2018-08-13 23:59
x
3時間もしゃべって話の内容憶えてる人いるのかなあ。
話した本人も何言ったっけでしょうに。 うーんと若いころに習ったスピーチ訓練。 元アナウンサーの先生は「1分50秒ピタリが理想、それ以下でもダメ、最大2分10秒まで、早口も禁止」 それ以下では印象が残りにくく、それ以上だと話がダラダラした印象になるから。だそうな。中年以降に役立ってますわ。
Commented
by
雷神
at 2018-08-14 00:13
x
金魚のナントカみたいに長時間喋り続けてたら、麻生さんが
用件を聞こうか…… とでも呟きそうてすね。 ぱよぱよち〜ん!
Commented
by
協会やら、なんたら団体
at 2018-08-14 08:46
x
緑のお豆さんが、財務のご責任者を
西早稲田のサイトで募集してますね。 https://www.janic.org/ngo/information/ まぁ、ここも受け皿かな。
Commented
by
たまにはコメントしてみます。
at 2018-08-14 09:38
x
> 戦後生まれ 様
> kon 様 > 弓取り 様 ありがとうございます。 これも先に行かれた方たちのおかげだと思います。 ちょうどお盆ですし、改めて気を引き締めて行きたいと思います。 敬具。
Commented
by
戦後生まれ
at 2018-08-14 15:36
x
当時の証言さん、で良いのかな?
親父も、インパール作戦で同じような話?をしていましたよ。 川を挟んで英国軍とのドンパチ。 双方とも一日中寝ずに撃っては休み撃っては休み、なので大変。 遺体や怪我人の収容もままならない。 で、ある日から、どちらが始めたのか、多分英国軍だったのでしょうね、スピーカーで只今から救護班が活動するので撃ち方ヤメー、と。 双方とも、救護班が一斉に動き回って収容したと。 で、で、今度は只今から撃ち方始めます、と。 で、またまたドンパチ開始。 どこぞの国々ならば、救護班を出す振りして相手の救護班の皆さんをバンバン撃って来るでしょうね。 日本人対紳士の国ならではの、話だなと思いました。 まるで作り物の話みたいだな、と聞いた時に思ってしまいましたよ。
Commented
by
sana
at 2018-08-14 21:40
x
『月刊HANADA』9, P111
で、以下のような記事がありました。 (マハティールは) 医学生だった頃、学費を稼ぐために屋台を引いてコーヒーやピーナッツを売っていたが、こんな経験をした。 「イギリス人はカネも払わず商品を奪うことが多々あったが、日本の軍人は端数まできちんと払う。折り目正しく、勇敢で愛国的だった」
Commented
by
Blue and Red
at 2018-08-27 14:15
x
>ステージ2の膵がんから2ヶ月程度で
ここまで一気に進行するとはまず考えられませんので おそらくステージ4だったのだろうと思います。 >そう考えると翁長陣営に深く入り込んでいた共産党などが 状況を全く知らなかったとは思えません。 上の内容を読んで、公明党及び学会が大作が表舞台から何年も姿を消しているのに、執筆活動と言ってひた隠しにするのと重なりました。 本当は当人はやばい状況なのに、替わりのシンボルが居ないといつまでもそれにすがろうとする。 所詮共産党も公明党学会も同じ穴の狢だと改めて思いましたよ。
|
ファン申請 |
||