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2020年 08月 25日
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まず次は時事通信の記事から。 【水泡に帰すアベノミクス コロナ禍打撃、経済縮小―再生へ構造改革急務】 2012年末に発足した第2次安倍政権は、金融緩和と財政出動、成長戦略の「3本の矢」による経済政策「アベノミクス」を推進してきた。円安による企業業績改善や株高といった成果を挙げたが、公約に掲げたデフレ脱却はいまだ実現できていない。足元では新型コロナウイルスの影響で経済が急激に縮小。看板政策の果実は水泡に帰しつつあり、経済再生には構造改革が急務だ。 民主党(当時)政権下では、歴史的な水準まで円高が進み、日経平均株価は安倍政権発足直前まで1万円割れが続いた。デフレの長期化で閉塞(へいそく)感が強まっていた。 安倍晋三首相は就任直後に「強い経済を取り戻す」と宣言し、アベノミクスを始動させた。13年に日銀は市場で国債を買って大量のマネーを供給する異次元緩和を導入。円高是正で輸出企業の業績は好転し、株価は15年に2万円台を回復した。 しかし、企業は賃上げに慎重な姿勢を崩さなかった。物価変動の影響を除く実質賃金は17年に前年比0.2%減、18年に0.2%増と伸び悩み、19年は0.9%減に沈んだ。家庭に景気回復の実感は乏しく、個人消費も盛り上がっていない。 日銀は2%のインフレ目標を掲げているが、消費税増税の影響を除くと、物価は一度も届いていない。首相は「デフレではない状況をつくり出せた」と述べたが、逆戻りの懸念は消えず、脱却宣言は出ていない。 規制緩和など成長戦略の中身も乏しかった。内閣府によると、日本経済の実力を示す潜在成長率は19年に0.9%と4年連続の横ばいだった。 既に失速していたアベノミクスにコロナが追い打ちを掛けた。20年4~6月期の実質GDP(国内総生産)は年率換算で485兆円と、前期比41兆円も目減りし、政権発足時(12年10~12月期)の498兆円を下回った。生活実感に近い名目GDPは506兆円で、600兆円の政権目標は遠のいた。 借金の山も残された。消費税を5%から2段階で10%に引き上げたが、主要国中最悪の部類に入っていた財政はコロナ対策の巨額支出で一段と悪化。20年度末の国債発行残高は964兆円と実質GDPの2倍に達する見通しだ。安倍政権は「経済再生なくして財政健全化はない」(麻生太郎財務相)として財政再建を後回しにしてきたが、財務省幹部は「いつまでもこの状態を放っておけない」と危機感を示す。 野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストは「コロナショックを機に、金融・財政政策から経済の効率性を高める構造改革へと一気に比重を移すべきだ」として、サービス業の生産性向上などに取り組むよう求めている。 (2020/8/23 時事通信) アベノミクスがなくて民主党政権とおなじく 財務官僚主導による 円高誘導、国内産業の空洞化、不況維持 という路線のままであれば日本経済はとっくに 二度と取り返しが付かないほどに破壊されていたでしょうし、 そんな状況で武漢肺炎だったらまさに地獄になっていただろうと思います。 民主党政権であったらと思うと本当に 日本が壊れる一歩手前で内ゲバで総理から引きずり下ろされるくらいならと やけくそ解散に走った野田佳彦のファインプレイでしょう で、記事全体としては財務省に阿りまくってる時事通信の姿だと言っていいでしょう。 Aが失敗だ → それならBだ よくある代替案の提案とか解決策の提示に見えて 「明らかに間違った解決策の提示」 ということが特に大きな事件などの時に行われる手法です。 時事通信のこの記事を読めば武漢肺炎で経済がドカンと落ち込んで アベノミクスの効果すら打ち消してしまったことに対しての処方箋が 「構造改革(具体的には無策)だ!」 「財政再建だ!」 どう考えてもさらに景気が悪くなるだけでしょう。 処方箋としては明らかに間違っています。 どうせ構造改革とか言ったって、まーた財務省があちこちに手を回して 「無駄な政府のコストになっているからこれこれこういう事業を廃止だ!構造改革だ!」 とか 「無駄な行政コストを削減だ!政府の事業を民間に移管しろ!構造改革だ!」 とか、今までやってきた構造改革=緊縮化という話にするのだろうと思います。 構造改革ならただでさえ予算を牛耳って全ての省庁の上に立っている財務省なのに 独自の捜査権まで有して国会議員や企業までも黙らせる力を持っている事を改革しましょうよ。 国民が選挙で選ぶことができない、罷免することができないのに そういう組織が実質的に独裁的な権力を持っている事の方がよほどおかしいのですから。 さて、昨日取り上げたREN4の件ですが、 旦那の村田と離婚したとのことです。 【「人生観の違いですね」蓮舫参院議員が離婚 「週刊文春」に理由語る】 立憲民主党参議院幹事長を務める蓮舫参院議員(52)が、離婚していたことが「週刊文春」の取材で分かった。蓮舫氏が、「週刊文春」の取材に認めた。 蓮舫氏を巡っては、8月20日、参院事務局に「村田蓮舫」から「齊藤蓮舫」に本名が変わったことを報告し、その後、参院ホームページの議員情報欄が更新された。 蓮舫氏は情報番組のキャスターを務めていた頃、フリーライターの村田信之氏と知り合い、1993年8月に入籍。97年には男女の双子を出産した。息子の村田琳(23)は現在アイドルグループの一員として活躍している。 「週刊文春」が、離婚について事実確認を求めたところ、8月24日、蓮舫氏は取材に応じ、次のように説明した。 「8月7日に離婚届を提出して受理されました。弁護士も入れず、円満な協議離婚です。 (理由は)シンプルに人生観の違いですね。彼は早稲田大学で講義を持ち、学生と地域を結ぶ教育をしています。いずれ地方に生活の拠点を移そうと考えていた。一方、私は東京が選挙区で、東京から日本を変えたいという考え」 離婚を切り出したのは蓮舫氏からだったという。 「子供たちが成人し、互いの将来を考えたとき、同じ籍にいる必要はないかな、と。息子の芸能活動が軌道にのり、娘の就職の内定が出たことが大きかった。今年春ごろから私の方から切り出して、話が整ったのがこのタイミングということ。2人でこの件で話したのは30分ずつ2回だけ。彼も私との価値観のズレはわかっていたから理解してくれました。 ただ、今も連絡を取り合うほど仲はいいです。籍を抜いただけなので、生活も心境も全く変わっていないんです」 8月27日(木曜)発売の「週刊文春」では、蓮舫氏がかつて夫を「ペット以下の存在」と語った理由などについて詳報する。 (2020/8/25 週刊文春) 昨日も書きましたが、 REN4は一貫して「村田」と名乗ることを嫌がってきました。 そのためにあの手この手、 とにかく可能な限りあらゆる場面で 「村田」 という表記がなされないようにしてきました。 なのでブログ主は日本国籍と種を得るだけが目的だったんじゃないかと、 旦那のことはペット以下と言ったり REN4を持ち上げるためにテレビ局が作った特集番組で REN4と子供達がそろって旦那を軽視して扱っている事を隠しもしませんでしたからね。 そして離婚して日本で通名として名乗っていた「齊藤」を改めて名乗ったと。 謝哲信とミスシセイドウだった母との子で 日本国籍はこの母の方を取った形で姓も母から齊藤と持ってきたようです。 今回の離婚でREN4の戸籍謄本は以前の19ページから さらにページ数を増やしていそうですが・・・はてさて。 そもそも普通に暮らしていたら19ページなんて やたら長くならないはずなんですよね。 そのあたり、REN4は説明責任から逃げ続けてきて全くわからないままです。 昨日のブログ記事でも取り上げた内容も一部ありますが、 あらためてREN4の胡散臭さについてその父、祖母のあたりも考えてみましょう。 REN4の父は謝哲信、その母が陳杏村です。 父の謝哲信については昨日書いたとおり、 政界における黒い霧事件の中心人物になるほどの大物でした。 まずこの父の亡くなった年も繰り返し間違うREN4のツイートがこちら 2010年4月13日 16年前、私の父が他界した 1994年? 2012年4月12日 17年前に私の父も他界、明日が命日。 1995年? 2013年4月13日 20年前の今日、父が他界。 1993年? 2014年9月17日 9月17日は父の誕生日。亡くなって20年経つが 1994年? 2015年4月13日 22年前の今日。父が旅立ちました。 1993年? 2016年4月13日 大好きな父が旅立ってから22年が過ぎました。 1994年? ちょっとREN4さん、自分の父親の亡くなった年がガバガバじゃないですかね? ちなみに平成30年11月5日の参議院予算委員会では REN4はこんな事を言っていたりします。 以下、議事録より。 ----- REN4 私の父は台湾人です。日本の占領下で日本国籍を有していました。戦後、台湾国籍になりました。 ----- 台湾が日本だったことはあっても、 日本占領下であったことは一度もないのですけど? このあたりの感覚、日本人でも台湾人でもないように思います。 一部には三重国籍を疑われるREN4ですからね。 あ、ここでブログ主の邪推を一つ書かせてもらいますね。 昨日も書いたとおり、REN4の父親は 日本の政界にがっつり食い込むほどの財力とコネを持っていました。 REN4の母親はミスシセイドウの齊藤圭子とのことです。 REN4がタレントとして売り出していくきっかけはクラリオンガールになったことでした。 クラリオンガールの中でも特にプロポーションが悪く 写真集の売り上げは歴代でワーストと言われています。 参考までにこんなんでした。 REN4の異常なプライドの高さなどを考えると本人がねだったのかもしれませんが、 政界にがっつり食い込むほどの力を持っていた謝哲信の力があったのでは? とブログ主は邪推しています。 だってねぇ、、身長が高いとかいうわけでなし、メリハリのないボディ。 真面目にちょっとなんでREN4が選ばれたのかわかりません。 こういうのって女性の方から見てどうなんでしょう? 話を戻しましょう。 蓮舫の祖母、陳杏村がそもそも怪しいのです。 台湾人士鑑という台湾のそれなりの人達の目録みたいな本があるのですが、 それの249ページに陳杏村の記載があり、 昭和十年東京銀座ファッションスクールを卒業し 同年7月に台湾に洋装店を開業したことが書かれています。 ちなみに台湾のWikipediaだと1926年に台北第三高等女学校を卒業し、 謝達林と結婚して台南の白河に病院を開設したとあります。 1939年には上海でたばこの卸売業を始めたようです。 同年、日本軍に戦闘機2機を寄付。 1945年にスパイ容疑で逮捕されるも無罪ということになっています。 (【蓮舫家族祕史】台裔蓮舫祖母陳杏村 台中日三地奇女子(二)2017-06-22) たばこの卸しがどれほどの利益になるかはわかりませんが いきなりぽんと戦闘機2機買えるもんなのですかね? 当時上海租界を牛耳っていたのは青幇でした。 国民党と極めて近く、 戦後中国共産党が国民党を追い出して支配権を握ると 国民党が台湾に逃れたのと同じく青幇もまた台湾や香港に逃れました。 戦闘機2機を寄付という事をもって日本軍に近づいた この角度で考えたら彼女のバックには青幇や国民党があったのかもしれません。 なお、現在「台湾人士鑑」の陳杏村などの載っているページを見ようと思っても 確認することができなくなっています。 いつのまにか該当箇所が破られていたようで 国会図書館に現在ある物はこのとおり、 247~250ページのところが抜け落ちているのです。 かつてREN4が二人の子供に中国籍を取らせることを目的にしたのか 妊娠中に留学ということで北京に滞在していたことがありました。 しかしながら結局は日本に帰国することを選んで日本で出産しています。 わざわざ微博にアカウントを持っていてそこでつぶやいていたりと REN4は台湾籍のわりに心は大陸なのですよね。 こうなってくるとビートたけしの言った 「台湾経由の中国のスパイ」 というのが冗談じゃなくなってくるのではないかとすら思います。 やはりスパイ防止法は日本に絶対に必要です。 立憲民主党に集まる人達って 背中がずいぶんと煤けて見える人が多いのですよね。 --------- ↓良ければ応援クリックよろしくお願いします。↓
by Ttensan
| 2020-08-25 09:38
| 政治
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