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2023年 06月 05日
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まずはフジテレビの胡散臭い特集記事から。 【「争うよりも愛しなさい」35歳シングルマザーが平和運動に吹き込んだ新たな風【沖縄発】】 南西諸島の軍備を強化する動きが進められるなか、沖縄から平和を発信しようという集会が2023年5月21日に開かれた。 掲げたスローガンは「争うよりも愛しなさい」。 普遍的なテーマで幅広い世代に訴える取り組みと司会を務めた女性の想いを取材した。 ~中略~ 平良友里奈さん: いまの世界情勢や軍事拡大の流れ、これを止めるためにはどうしたらいいのかと考えました。大きな大きなエネルギーを沖縄で作り出さなきゃいけないと思い、シニアと若者の思いを一つにして大きな愛のエネルギーを作り出して、相手よりも大きなパワーにしてこの問題に立ち向かいたいです ~以下省略~ (2023/5/31 FNNピックアップ 制作:沖縄テレビ) それで日本政府の方針を批判する集会に参加している時点でね……。 日本を侵略しようとしてきているあっちには愛がないわけで、 こちらが一方的に軍備をやめて愛ですよ、愛! とかやったところで一方的に蹂躙されて終わるだけですね。 この集会の参加者の映像もあったんですが、以下。 ![]() いやー、何処の国の人達なんでしょうかねー? 日本人を拉致し、日本にミサイル撃ってくる国、 竹島を不法占拠し、次は対馬と領土拡大の計画を持っている国、 北方領土を不法占拠し、国内の反日団体と結んでウクライナと同じ手口で北海道を切り取ろうという布石を打っている国、 日本を植民地化しようという事をずっと世界侵略計画のステップに組み込んでいて沖縄もわが領土とか言い出している国。 日本国憲法の「平和を愛する諸国民」とやらがまるで妄想であることが 今でもよくわかる状況のままなんですけどね? しかもこれらの国、どれも「約束を守らない」事に定評のある国々ですよ。 強盗が来て、強盗に愛を語って助かる可能性はほぼゼロでしょう。 屈強そうな警備が立っている家だったら 強盗だってそう簡単には入ってきませんよ。 手を出したらただでは済まない。そう思わせなければなりません。 ロシアがウクライナに全面的に侵略戦争を仕掛けたのは 今ならまだNATO入りしておらず集団安全保障が効いていなくて、 かつウクライナの戦力とロシアの戦力を比べたら余裕で勝てると考えたからでしょう。 ロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛けているという現在進行形の事実があるのに どうして日本だけが侵略の意図を見せているそうした国々より弱い体制にすることで守れるのか。 この記事で特集されている人、シングルマザーなんでしょ? 相手の男とは話し合いも共存もできなかったってことじゃないんですかね? ご自身の説く愛とやらでなんとかできなかったのでしょうか? お次は名古屋城の木造天守復元計画の記事。 【障害者への差別発言相次ぐ 名古屋城復元めぐる市主催の討論会】 名古屋市が復元をめざす名古屋城木造天守のバリアフリー化をめぐり、市が主催した3日の市民討論会の中で、エレベーター(EV)の設置を求める意見を述べた身体障害がある男性に対し、他の参加者から差別発言があった。 市民討論会は名古屋市中区内で開かれ、市側が住民基本台帳から無作為に選んだ18歳以上の参加希望者が出席した。河村たかし市長も参加した。 現計画のバリアフリー化案では、地階から少なくとも1階まで車いすの人が利用できる小型の昇降機を設置するとしている。それより上層階の具体的な整備案は定まっていない。だが「史実に忠実な復元」をめざす河村市長は昨年12月、天守最上階まで昇降機を設置しないことを許容する発言をし、障害者団体が「障害者に対する人権侵害で到底承服できない」と抗議していた。 討論会では、車いすの男性(70)が天守最上階まで車いすも運べるEVが設置されなければ、「障害者が排除されているとしか思えない」と市側に訴えた。 その直後、EV不要の立場から2人の男性が発言した。最初の男性は車いすの男性に対し、「河村市長が作りたいというのはエレベーターも電気もない時代に作ったものを再構築するって話なんですよ。その時になぜバリアフリーの話がでるのかなっていうのは荒唐無稽で。どこまでずうずうしいのかっていう話で。我慢せえよって話なんですよ。お前が我慢せえよ。エレベーターを付けるなら再構築する意味がない」などと話した。 次に発言した男性は身体障害がある人への差別表現を使った上で、「エレベーターは誰がメンテナンスするの。どの税金でメンテナンスするの。その税金はもったいないと思うけどね。毎月毎月メンテナンスしないといけない。本当の木造を作って」などと話した。 この2人の男性の発言の後には会場の一部からは拍手も起きた。 河村市長は報道陣から差別発言があったことへの見解を問われ、一部は「よう聞こえなかった」とした上で、「自由に言ってもらうのが前提で、広い気持ちで考えるのが普通ではないですか」と話した。一方、市の担当者は差別発言があったことを認めた上で、「個人の勢いで言われたことで、制止することはしなかった。今後の運営の課題としては受け止める」と話した。 車いすの男性は「頭が真っ白になるくらい傷ついた。市には発言を止めて欲しかった」と話した。(寺沢知海) (2023/6/3 朝日新聞) 正直言って車椅子の70歳の車椅子男性が車椅子も運べるエレベータで 俺様が天守最上階までいけないなら差別だというわがままを 「障害者が排除されている」 という卑怯な言い回しをしているだけに見えます。 名古屋城木造復元計画が出てから ごく一部のノイジーな集団が天守真横に最上階まで車椅子で入れるようにEVを設置しろとか、 そういう感じの非常にノイジーなクレームを入れ続けてきた案件です。 ただ、エレベータに反対する人のうち朝日新聞が記事に取り上げた2名は表現を間違っています。 そしてそういう意見だけを採り上げる朝日新聞もある意味でわかりやすいなと思います。 ブログ主も障害者の支援をやっていました。 これを書くと差別用語だなんだと言う人がいますが、 障害者の人達に話を聞いた中である重度障害者の方に言われた言葉を書きます。 「片輪はしょせん片輪、健常者ではない。だからわかることもあるし、できないこともある。それでいいじゃないか」 ひねくれて言っているのではなくて、 障害者である以上、健常者と全く同じというのは不可能なのだから できること、やれること、見えること、考えられること、 それぞれ見つけながらやればいいじゃないという事なんです。 ものすごく技術が進んで健常者と同じ振る舞いができるような補助器具が出てきたりするのなら別でしょうけど。 今回の木造天守復元計画はその名の通り昔の姿を復元するところに目的があるわけで、 そこに天守最上階まで車椅子で上がっていけるエレベータを設置しろ!でなければ認めない! みたいなのはちょっとわがままが過ぎるように思います。 人間というのは1人で生きていくことはできません。 そんな中で「俺様の要求は100%飲め!」なんて人がいたら たぶん他の人達とうまくやっていくことはできないと思います。 お互いがお互いを尊重し合って それぞれの妥協点を見つけてお互いに譲歩しあうから社会は成り立つのであって、 俺様の要求が100%認められないのならそれはダメな世界だみたいな考え方は 他の人にとっては地獄となっていくでしょう。 また、今回取り上げた名古屋城の件のようなクレームを入れてくる一部の人達というのは 「俺たちがこうさせてやった!」 というところに目的があったりすることも少なくないと思います。 相手に言うことを聞かせるためにポリコレ棍棒を振り回しているだけのような。 仮に木造天守の横にコンクリートのエレベータ塔が作られたり、 内接エレベーターを設置して、 結局は当時の状態を復元できない名古屋城になったとして、 元々の目的だったかつての名古屋城天守を復元するという計画が台無しになって、 観光地としてのてこ入れがいまいちに終わった時に、 この手の人達はせっせと繰り返し通ってくれるでしょうか? 相手に言うことを聞かせる事に成功したというところに満足するだけで 復元後の名古屋城を支えてくれるような事はたぶんしてくれないと思います。 ポリコレという点で関連させてちょっとゲームの話に逸れますが、 スクウェアエニックスのファイナルファンタジー16、 今月発売予定ですが、 海外からは 「なぜ黒人を主役キャラとして登場させないのか」 「(黒人を主役にしないから)多様性に関して問題がある!」 というようなお得意のポリコレ棒を振り回す人達のクレームが出ています。 そして海外のゲームメディアなどもこれに乗っかって、 FF16で多様性のために黒人などを出さないのか? 等の質問がされました。 これに対してFF16のプロデューサーを務める吉田直樹氏の回答が 言葉を選びながら丁寧に多様性という名の偏った価値観の押しつけをお断りしています。 ―― ――本作のダイバーシティ(多様性)についてですが、『ファイナルファンタジーXVI』に黒人のキャラクターや、有色人種(非白人)のキャラクターは登場するのでしょうか? 補足させていただきますと、トレーラーに登場するキャラクターのほとんどが白人である点がファンの間でディスカッションされています。本作は最終的によりダイバース(多様)になるのか確かめたかった次第です。 吉田:こちらは非常に難度の高い質問だと感じていますので、長い回答となりますが、ぜひ最後までお読みください。 エンターテインメント内のダイバーシティというのは、昨今、多く取り上げられる話題となっていますので、想定していなかったものではありません。しかし、僕たちが持ち合わせている回答は、皆さんの個々の期待値によっては、一部の方々にとって、残念に感じられてしまう場合もあるかもしれません。 今回の物語をデザインしていく上でのコンセプトとして、我々は開発の初期段階からそれ以降も常に、中世ヨーロッパを強く参考にしており、歴史的、文化的、政治的、そして人類学的観点でも、中世ヨーロッパのスタンダードを組み込んでいます。 我々が語りたかった物語である「黒の一帯という脅威により、追い詰められた土地と人々」を描くため、舞台設定を惑星全体規模ではなく、追い詰められた大陸ひとつに集約することにしました。そこは、飛行機も、テレビも、電話もない時代で、地理的にも文化的にも外界から隔離された場所でした。この舞台設定自体の基盤となっている地理的、技術的、そして地政学的な制約により、ヴァリスゼアに対して、現実である地球上の現代社会ほど、広範囲の多様性を持たせることは非現実的でした。我々が開発/運営を行っている『ファイナルファンタジーXIV』の世界と比較しても、惑星全体(それこそ月や系外惑星に至るまで)に及ぶ国家、人種、文化を思いのままに宿せるのとは、描ける規模が根本的に違う、ということになるのです。そして、『ファイナルファンタジーXVI』の物語は、外界から隔絶されているというヴァリスゼアの性質が、物語の核心・中核にも根差しており、その点はぜひ本編を体験していただけると嬉しいです。 これらの結果として、ヴァリスゼアという物語の舞台に多様性という重要な要素をしっかり入れつつも、民族的多様性を「入れ込み過ぎること」は、我々が語りたかった物語(ファンタジーでありながらも実際の歴史に根差している物語)にオーバーフローをもたらし、自分たちが目指す物語を創るために、あえて自らに課してきた制約を壊してしまうものになり得る、と考えました。 「ファイナルファンタジー」シリーズは、その本質としてこれまでも常に対立や葛藤、とくに人類の歴史においても際立って繰り返し見られる「権力者と、そうした一部少数の優遇者に使われる者、あるいは搾取される者たちの対立」などと向き合ってきました。プレイヤーの皆さんは、こうした対立や葛藤を、迫力あるバトルを通じて、自ら体感していただくことになります。これはインタラクティブなビデオゲームだからこその特性です。ここに、受け取る側の先入観を引き起こすきっかけとなったり、意図していない不当な思惑を招いたり、そして最終的に論争の炎上を掻き立てることなく、異なる多様な民族を主人公役/敵役に割り振ることは、非常に難しく困難を伴います。 歴史から直接インスピレーションを得ることの醍醐味は、新たなものを作りながらも、自らの過去を再訪し、再考を可能にする点だと考えています。だからこそ、僕たちが皆さんに注目していただきたいのは、キャラクターの外見よりも、むしろ「人」として彼らがどんな内面を持つのか。それは複雑で、なおかつその性質、背景、信念、性格、動機において多様性を持ち、皆さんの多くが共感できるようなストーリーを持っている、という部分です。ですから、ヴァリスゼアにも間違いなく多様性はあります。それは、あらゆる面での多様性とは言えないものの、僕たちが作り上げた舞台設定と相性が良く、相互に物語の品質を高め、開発チームのインスピレーションやコンセプトにも忠実であり続けられるような多様性になっています。 ―― 吉田直樹氏はポリコレ棍棒に折れて作品を曲げるのではなく、 ゲームの世界観を守ったと思います。 「黒人を主役にしない!人種差別だ!」「多様性を尊重していない!」 とか騒ぐ人達の方こそ差別の意識があるのではないでしょうか? 昨今、某強欲ネズミの会社がポリコレに媚びまくって、 元々の作品で存在しなかった世界観を無理矢理ねじ込んで、 作品の世界観そのものをぶっ壊すということを繰り返しているように見えます。 ブログ主にはそういうのは多様性ではなく 「有色人種を尊重しろ!」「美人ばかり優遇するな!そうではない人を尊重しろ!」 という偏った価値観に媚びた何かに見えます。 世間一般的に美人と言われる人達も居ますし、 世間一般的にそうではない人達もいます。 美人な人だって何も努力しないで維持できているわけではなくて 生まれ持った外見的才能を努力して維持していたりするものなので そういう才能と努力に対して一定の敬意を払うのは別にいいんじゃないでしょうかね? ブログ主には 「かわいそうな人達を特別扱いしてやれ!」 ってものすごく上から目線で文句を言っていたり、 「俺たちを優先しろ!それが多様性を尊重するということだ!」 と、一方的な考え方を押しつけるために多様性という言葉を使っているだけ ポリコレを主張する少なくない人達の声がそんな風に見えて仕方がありません。 戦国時代も立花道雪なんかは下半身不随で神輿に乗って兵達を指揮していたようですが、 江戸時代に 「車椅子で城内どこでも移動できます。バリアフリーです。エレベータもあります」 みたいなのはありえない世界観ですよね。 最大限バリアフリーの努力は払うとしても 400年前当時のものを復元しようというのですから、 そこに一方的にああしろこうしろというのは 弱者に対する配慮とは違うものではないでしょうか? 朝日新聞は乱暴な表現をしている人のコメントのみをピックアップして記事にしていますが、 そういう乱暴な言葉をあえてピックアップすることで 風向きを変えさせようとかいう 日本のマスゴミ記者お得意の 「俺たちが世論を(ミス)リードしているんだ」 みたいなちょっといただけない思惑を混ぜ込んでいるように見えてしまいます。 弱者が弱者である事を徹底的に武器にして振り回し始めたらそれはもう弱者ではなく強者となっています。 そして困ったことにそういう人達に肩入れして 「俺たちは弱者のためにがんばってやってるんだぞ」 という上から目線の自己満足を押しつけようとする人達もいます。 押しつけてきている時点でもはや多様性なんてこれっぽっちも尊重していないはずなんです。 LGBT法案についてもまさにこの問題点の部分が見られます。 ゲイが苦手という人もいるし、そうでない人もいる。 でもどちらも尊重してお互いに静かに共存する。 日本はそうして西洋の他の国々よりも歴史的に見ても多様性を尊重してきた国だと思います。 ところがLGBT法案をLGBT当事者団体の反対の声を無視して進めようとする人達は 「『弱者を尊重しろ!LGBTを理解し尊重しろ!』この運動をやっている俺たちは正しい」 みたいなものすごく上から目線の差別心を隠さない人達も少なくないように見えます。 そういうのは本当に「多様性の尊重」なのでしょうか? 多様性を尊重しろと言いながら一つの価値観を押しつけていないでしょうか? ―― ↓良ければ応援クリックよろしくお願いします。↓
by Ttensan
| 2023-06-05 03:43
| 政治
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