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2023年 06月 22日
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一昨年の衆院選で辻元清美が完全落選し比例復活もできなかったものの さらっと翌年の参院選で全国比例で出てその知名度で当選しました。 その煽りを受けて立民の全国比例指定席となっている労組議員が1人落ちましたが、 まぁ、その件は置いておくとしまして。 立憲民主党は辻元清美の参院転出によって空いていた大阪10区に 尾辻かな子を充てることにしたようです。 尾辻かな子はこの件について ―― 尾辻かな子@otsujikanako 大阪10区(高槻市・島本町)の総支部長に決定しました。 大阪10区はつじもと清美さんが20年以上にわたって市民の皆さんと根を張ってきた大切な場所です。私もしっかりとつながって、今の政治を変えるため頑張りたいと思います。 多様性を力に。誰も置き去りにしない社会を目指して、頑張ります! ―― とツイート。 辻元清美の地盤を引き継ぐ形をアピールしています。 こういうのって形は違ってもほぼほぼ世襲と変わらない気がしますが、 相変わらず余計な事しか言わない事では定評のある旧姓村田の違法人さんがこんなツイートをしていました。 https://twitter.com/renho_sha/status/1671135804964634624 ―― 蓮舫 RENHO @renho_sha 二世三世にはわからないでしょう。 政治を良くしたい、その一点。 想いを継ぐ、尊さ。 ―― 母子で台湾バナナの輸出権益をほぼ独占して蓮舫の祖母と父は そのぶっとい利権を与野党の大物政治家にばらまくことで 日本の政界にも太いコネを作っていました。 河野洋平なんかはこの金で過去に資金繰りのために手放していた那須野牧場を買い戻したと言われた程です。 特段背が高いわけでもない、スタイルも最悪で クラリオンガール史上最も写真集が売れなかった旧姓村田がクラリオンガールになれたのも こうした日本の政界にたいしてのぶっといコネを持つ父親の影響があったのではないかと どうしても疑ってしまいます。 そんな旧姓村田は例の多重国籍問題について 説明責任を果たさないまま今に至っていますし、 その性格からなのか息子に逃げられてしまいました。 【蓮舫議員のアイドル長男が自民党に入党 自民党の大物フィクサーと養子縁組】 (2022/3/2 ポストセブン) 立憲民主党の議員達は民主党時代から自民党の議員を世襲だとして批判してきました。 世襲4世の鳩山兄弟の金で作ったのが民主党だというのに。 先の衆議院山口2区補欠選挙では 立憲民主党は最高顧問の菅直人を筆頭に マスゴミと一緒になって岸信千世を落とすべく世襲批判を繰り返しました。 菅直人が自分の息子の源太郎に世襲させるべく、 最近は息子の源太郎を自身の秘書にして準備を進めていたりしています。 立憲民主党は「源太郎への世襲は絶対に認めない」と先に言っておかないとダブスタですよね。 また、ブログ主としては 労組の組織内議員が交代するのも世襲と変わらないと考えています。 地盤が後援会か労組かという違いだけなんですから。 そんな立憲民主党には石橋通宏という議員がいます。 父の石橋大吉は労組を地盤として旧社会党~民主党で議員を続けていました。 息子の石橋通宏は世襲議員というだけでなく、 大学卒業後に電気通信労働組合中央本部に入職、 その後も労組の幹部職員として活動するなど一貫して社会人経験がないまま NTT労組中央執行委員兼情報労連中央本部特別執行委員として民主党から出馬し当選。 現在までに参議院比例で3回の当選をかさねるベテラン議員です。 マスゴミが批判しないでくれているのでやりたい放題のままの立民ですが、 世襲批判は山花郁夫など旧社会党時代から続く世襲の仲間に対するブーメランでもあります。 ブーメランになるからと多少なりとも自重するのならまだマシなのでしょうが、 そのような姿勢は微塵も見られません。 相変わらず批判一辺倒です。 立憲民主党は旧社会党時代からオールドメディア依存の情弱層を票田としてきました。 「反対しかできない」「批判しかできない」という実態が ネットの普及によって知れ渡ってしまってきた中で ここにきて最大の立民応援団であるテレビがつまらない番組しか作れなくなった事もあって テレビ離れが拡大し、テレビ情弱層が減少していることもあって テレビ情弱層の減少ペースに歩調を合わせるかのように立民は支持率が低下し続けて この状況をひっくり返す材料がないままです。 本来ならばもっともっと危機感をもたなければいけないのですが、 これまでのように自民の悪口を言っていればテレビで論客だと持ち上げてもらえるとしか考えておらず、 旧社会党以来の旧態依然としたやり方しかしていません。 旧姓村田はもともとが非常に攻撃的な性格で 他党、他人の悪口しかできない人でしたし、 マスゴミに甘やかされてきた野党議員の中でも特に甘やかされてきた1人ですので 状況を把握しようとする努力どころかその意識すらないのだろうと思います。 旧姓村田に限らず、まだまだオールドメディア依存での選挙態勢の考え方のままの人というのは 立民の大多数を占めると考えて良いでしょう。 こういう人達が次の選挙にヤバイからと取る手段は 泉健太執行部の一部だけを残して分裂して 新党を偽装するとか他の政党に潜り込むとかで看板を掛け替えて誤魔化すことで 選挙を乗り切ろうとするという手ではないかと考えます。 もともと、立憲民主党もそうした政党ロンダリングの流れの中で作られた政党ですからね。 お次は時事通信のこんな記事から。 【党首討論、今国会も開かれず 制度形骸化に危機感】 今国会も与野党の党首討論が一度も開かれることなく、21日の会期末を迎えた。党首討論が行われたのは菅政権下の2021年6月が最後。野党第1党が質疑時間を長く確保できる予算委員会などへの首相出席を重視する傾向があるためで、開催機運は乏しい。 党首討論は与野党の申し合わせにより時間が45分間で、複数の野党党首が質問に立つと持ち時間はそれだけ短くなる。立憲民主党は今国会で党首討論を与党に要求しなかった。 これに関し、立民の岡田克也幹事長は20日の記者会見で「二大政党的な状況ならかなり時間も取れるが、野党が分離している中で小さい野党なら数分間しかできない。大きな野党でも予算委と比べると時間が少ない」と説明した。 一方、他の野党からは、党首討論制度が形骸化することに危機感を示す声が相次いだ。国民民主党の玉木雄一郎代表は、自民、立民両党に対し討論時間を延長するよう求めた上で、「(制度が)機能しないまま放置していい問題ではない」と強調した。 日本維新の会の藤田文武幹事長も会見で「内閣不信任決議案が季節の風物詩みたいになるよりも、党首討論が毎国会の風物詩になる方が生産的だ」と指摘した。 (2023/6/20 時事通信) 立憲民主党が出来て以降、 特に党首討論が実施されなくなりました。 批判と審議拒否ばかりに特化した立憲民主党では まともな政策議論をしても安倍晋三に勝てないという事情があったのでしょう。 党首討論が最近は行われていないとメディアに批判的な記事が出た後に 立民が渋々党首討論に応じて党首討論が開かれたことがありますが、 当時の立民代表の枝野幸男は安倍晋三に返り討ちにされないために 党首討論の設定された時間の間延々と演説を行うことで 党首討論の時間を潰して安倍総理の発言時間も潰すことで議論にさせないという手でやり過ごしました。 そんな立民が野党第一党として主導権を握っていることもあり、 モリカケで無責任に一方的に難癖を付ける方が遙かに楽で美味しいという都合もあったのでしょう。 党首討論がどんどん開かれなくなっていきました。 立憲民主党は民主党時代から政府側に反問権を導入する国会改革案に 反対してきた政党でもあります。 今の日本の国会システムは徹底的に性善説に根ざして作られているため 民主党~立憲民主党のように 制度をひたすら悪用することしかしない純粋な下衆を想定していません。 国会での審議は法案や予算審議に必要なことをちゃんと勉強してきて質問するであろうから 政府側に反問権を認める必要は無いだろうという設計だったのでしょう。 これを一方的な難癖、あるいは流言を垂れ流すためだけに悪用するだけに特化したのが立民でした。 性善説による半ば願望だけで作られてしまった現状の国会のシステムですが、 モリカケで特に味を占めてしまい、純粋に悪用することしか考えていない連中が 野党第一党として主導権を握っているのです。 ですので下手なことを言って反撃されて完膚なきまでに叩きのめされる可能性のある党首討論より、 予算委員会を開かせて一方的にろくな根拠も無いデマを垂れ流すなどして マスゴミとともに悪印象をひたすら刷り込み続けるという方が良いと考えるでしょう。 なんでも反対でろくな政策のない立憲共産党にとっては 党首討論なんかよりデマであろうと一方的に言いっぱなしにできる予算委員会の方が重要でしょう。 また、立民が予算案が成立してしまってから 審議する予算もないのに予算委員会開催を開けと無理筋の要求を毎年のように繰り返してきたのは 立民の輝かしい自慢の歴史である国会サボリ18連休の件があるからです。 「ほらみろ!与党は予算委員会を拒否している!審議拒否しているのは俺達じゃなくて与党だ!」 と与党に審議拒否の責任転嫁をするという事を主目的に、 審議する予算もなくなってから予算委員会の開催をしつこく要求するパフォーマンスを行うのです。 マスゴミという立民応援団はこのことをきちんと解説せずに、 特に東京新聞や変態新聞、朝日新聞グループに至っては 立民の主張そのものを垂れ流したりしてきました。 国会での議論を充実させるためにも政府側の反問権を導入すべきでしょう。 不勉強なので逆に質問されてしまうと困るからこそ、 立民の連中はこの反問権導入を拒否し続けています。 政府の政策や法案についての質問をする人間がきちんと勉強しているのであれば、 質問が返ってきてもそう簡単に困るはずがなく、 かえって問題点や論点がわかりやすくなるなど、 政策について国民に対して深掘りされた充実した議論を見せる事が可能でしょう。 勉強していれば、ですけどね。 立民議員を見る限り、彼らが野党第一党として居座り、 マスゴミの全面的な擁護を受け続けている限りは不可能な話です。 立憲民主党続きでこんな記事から。 【立民 小沢一郎氏中心の新グループ発足 メンバー約15人】 立憲民主党の小沢一郎衆議院議員を中心とする国会議員およそ15人が、新たな政策グループを発足させました。党内で小沢氏の影響力を保持するねらいもあるものとみられます。 新たなグループの名称は「一清会」で、小沢氏が会長を務めます。 会長代行を務める牧義夫衆議院議員によりますと、これまで小沢氏に近い衆参の国会議員およそ15人で行っていた不定期の勉強会を今後は定期的に開き、新たなメンバーも募るということです。 政権交代を目指し、民主党政権時代の反省も踏まえて与党に対じするための税制やエネルギー政策などを検討するとともに、ほかの野党との連携や協力も模索したいとしています。 牧氏は記者団に対し「小沢氏は元気で、3度目の政権交代を果たすまでは死んでも死にきれないという思いがある。厚みのある経験豊かな人が党内にいることを世間に知らしめることも大切だ」と述べました。 小沢氏は、先週、党内のほかの議員とともに、呼びかけ人の1人として、次の衆議院選挙の小選挙区で野党候補の一本化を目指す「有志の会」を立ち上げていて、今回のグループの発足は、党内で小沢氏の影響力を保持するねらいもあるものとみられます。 (2023/6/21 NHK) 出ました。小沢一郎の常套句の一つ「死んでも死にきれない」 それでは2007年の朝日新聞の記事から 【「私にとって最後の一戦」小沢代表の辞意撤回理由全文 2007年11月07日18時37分】 一部抜粋します ―― 私は14年前、自民党を離党し、日本に議会制民主主義を定着させ、国民のための政策を実現する仕組み作りを目指した。これが14年間の私の唯一の行動原理で将来も変わることはない。次の総選挙で民主党政権を実現しなければ死んでも死にきれないと必死だった。 ―― この当時は小沢一郎が民主党議員達のあまりのレベルの低さから まずは大連立で与党入りを行い、その経験を売りにして 次の選挙で本格的に民主党単独政権を目指そうとしました。 ところが民主党を支配しているのはあくまでも旧社会党系の連中であり、 かつての自社さや細川連立政権の失敗、 また小沢一郎アレルギーという事情もあり小沢一郎の大連立案を拒否。 これでへそを曲げた小沢一郎が代表を辞任すると言い出しました。 せっかく小沢一郎によって参議院選挙を大勝したばかりの民主党にとって ふたたび選挙に弱くなることは耐えられません。 (実際にはマスゴミによる徹底した自民攻撃と年金問題の主犯である自治労による自爆テロが民主党の勝因でしたが) これで党内の社会党グループが慌てて小沢に頭を下げた形です。 小沢一郎としては脅し一発で党内の主導権を完全に掌握した瞬間でもあります。 そして得意になっていた小沢一郎はお得意の「死んでも死にきれない」アピールです。 朝日新聞の2013年の参院選の記事も引用しておきましょう。 【(党首がゆく)生活・小沢代表 再び政権交代へ果てぬ夢】 (2013/7/11 朝日新聞) 一部抜粋します。 ―― 早くから小沢は既存メディアよりもネット番組を重視してきた。参院選でもネットの討論番組には欠かさず参加。「日本に政権交代可能な民主主義を定着させることが43年間の政治目標だった。次の総選挙でもう一度、国民サイドの政権をつくる」と訴える。だが、政界は政権交代可能な二大政党の時代から、自民党の一党支配に戻る気配が漂う。小沢は最近、側近にこう漏らした。「このままでは死んでも死にきれない」 ―― やっぱり「このままでは死んでも死にきれない」 2019年9月25日号ゲーテの記事より 一部抜粋。 ―― そんな小沢も77歳。政治家としてのタイムリミットが迫っていることは、誰よりも本人が理解しているはずだ。しかし、その演説にかつてのキレや迫力はなく、むしろ焦りや悲壮感が漂っている。 ~中略~ もうひと働き、最後のご奉公をしたい。もう一度政権を取らないと、自民党を離党した意味がない。今まで苦労した意味もない。死ぬにも死に切れない。 ―― 小沢一郎は選挙のたびに 「これが最後」とか「最後のご奉公だ」とか「このままでは死ぬに死ねない」 というアピールを繰り返してきました。 ブログ主としては 「これが最後、ほんとに最後だから!一生のお願い!!」 とか言ってくる人が 本当にそれが最後のお願いだったなんて話は全く経験がありません。 必ずおかわりしてくると思っています。 50代から「最後のご奉公だ」だの「死んでも死にきれない」だの言ってきた小沢一郎も81歳。 かつて金丸信の庇護下で自民党内でやりたい放題で 金権腐敗政治の頂点を極めた政治屋こそが小沢一郎。 ところが経世会の跡目争いで負けて派閥内で干されはじめたことに我慢できず、 自民党を割って連立政権を作り、 挙げ句に政治腐敗の申し子だった自分の汚名までも 自民党に責任転嫁したのが小沢一郎でした。 羽田内閣が総辞職して下野すると政権から遠ざかり、 その後自由党を作った小沢一郎は連立政権の一員として政権に戻りました。 ですが、それも自身が引き込んだ公明党によって自公だけで数が足りる状況になると 小沢一郎のわがままが連立政権内で通らなくなりはじめ 我慢できなくなった小沢一郎は連立離脱。 このときに政権に残る選択をした一部が保守新党として残りましたが、 政党助成金を独り占めしたい小沢一郎は分党を認めず、 保守新党に残った議員達を片っ端から除名しています。 再び野に下る小沢一郎は新たな選挙対策も抜かりなく このときに連合岩手の森越康雄会長と手を組んでいます。 そして小沢一郎は程なくして民主党に合流。 森越康雄は日教組中央執行委員長になっています。 金と権力だけが狙いで政策には信念がないため、 簡単に組む相手を変えられるのが小沢一郎の武器だったのかもしれません。 その後永田メール事件で前バタトルジが失脚すると 民主党代表として実権を握り、悪夢の民主党政権実現まで突き進みました。 20年以上の政治混乱は政治屋、壊し屋小沢一郎のわがままによって引き起こされたと言っていいでしょう。 嫁にも三行半を突き付けられ、息子にも逃げられ、 直近の総選挙では他の候補者の応援に回る余裕もなくなり、 比例復活にまで落ちぶれました。 それでもやっぱり政治屋小沢一郎は権力と金、政局でしか生きられないのだろうと思います。 彼は生きている限り「死んでも死にきれない」と言い続けるのでしょう。 --------- ↓良ければ応援クリックよろしくお願いします。↓
by Ttensan
| 2023-06-22 04:00
| 政治
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